世界の電鍵デザイナーたち
■ジョセフ・ヒルズ W8FYO Joseph A. Hills / Joe Hills 米国アリゾナ州フェニックス 1962年に揺り軸と針状の接点を組み合わせたパドルを初めてデザインしたことで知られる米国オハイオ州デイトンの電鍵デザイナー。ジョセフが発明したこの種の電鍵はFYO型と呼ばれ、ベンチャー(Bencher)社やMFJ社などの製品に採用されて一世を風靡した。現在もベンチャーのBY-1/2/3やMFJ社などの製品に採用されている。 ジョセフは1978年12月1日、米国アリゾナ州フェニックスで他界した。享年72歳。
FYO型パドルのひとつ
このベンチャーBY-1もFYO型パドルの一種
◆ホレイス・マーチン Horace G. Martin 1903年にバイブロプレックスのバグキーをデザインしたことで知られるアメリカ人。電信技士にして発明家。バグキーもエレクトロニック・キーヤーも無かった当時、長点と短点の数だけ腕を動かして送信しなければならなかったが、半自動のバグキーの誕生で短点を自動的に連続して打鍵できるようになったのはマーチンの偉大な功績である。マーチンの名が冠せられた初期のバグキーは1,000ドルから数千ドルで売買されている。 マーチンの伝説的な言葉に「電鍵は小さくてシンプルでなくてはならず、かつ自動システムかそれに近いメカニズムを備えなければならない」というものがある。 故人をしのぶ(by telegraph-history.org and AWA)
設計者の名を冠したマーチン・フラッシュ
■ミッチ・ミッチェル W4OA[その前はWA4OSR] Mitch Mitchell / S. Felton Mitchell The Vibroplex Co., Inc. 住所: 11 E. Midtown Park, Mobile, AL 36606-4141 USA 電話: 251-478-8873 ファックス: 251-476-0465 バグキーの元祖メーカーで知られているアメリカの電鍵メーカー「バイブロプレックス」の現在のオーナー。愛称はミッチ、またはミッチ・ミッチェル。本名はフェルトン・ミッチェル(S. Felton Mitchell)。
バイブロプレックス社は1890年の創業で、電鍵メーカーでは最も古い企業のひとつである。当初は米国ニューヨーク州マンハッタンのブロードウェイ通りに会社があったが、1978年に事業家のピーター・ガルソウ(Peter Garsoe)が、当時の経営者のビニー・ヒフ(Vinnie La Hiff)からバイブロプレックスを買収したのに伴い、同じ東海岸の港町メイン州ポートランドへ移転した。
◆テッド・マッケロイ
マッケロイ社の銘板
マッケロイ社のバグキーの一つ
◆ジョージ・フェルプス George May Phelps 19世紀の電鍵デザイナー。電鍵コレクターたちの間では、ホレイス・マーチンらと並び、最も有名な電鍵デザイナーの一人である。 ジョージは1820年に米国ニューヨーク州トロイで生まれ、少年時代に叔父のジョナス・フェルプスが経営する同じ街の製図器械製作所で機械工として奉公して腕を磨く。1840年代のジョージは、モールス教授がアメリカ東海岸のワシントンDCとボルチモアの間で通信実験をおこなうのを興味深く見守り、次第に競争が激化していく電鍵製造業界で電鍵デザイナーとしての名声を築いていった。ジョージはクラシックなキャメルバック電鍵を好んで設計し、製作し、19世紀の通信士たちに愛用された。 フェルプスは生地のトロイにあるオークウッド墓地で永遠の眠りに就いた。 故人をしのぶ。
ジョージ・フェルプス作のキャメルバック電鍵(Phelps Camelback)がここに公開されている。19世紀の作品である。
◆アントン・コバル M0EDX Anton Koval 住所: 9 Gretton Road, Erdington, Birmingham B23 5EG, United Kingdom
アントンは1975年に東欧ウクライナ共和国で生まれた。13歳になった1988年にUT7CTのコールサインを取得した。ウクライナは1991年に独立するまでの間ソビエト連邦の共和国だったので、軍隊に入るなどの事情から、モールス符号を知らないと「おしゃべりなだけの人」(チャターボックス)として軽蔑される雰囲気があり、またモールス通信ができないと上級のアマチュア無線家になれなかった。そこでアントンはモールス符号を習得し、その後は地元のモールス・コンテストで何回か優勝するまでに腕を上げた。そして文科系の大学に入り、英語とドイツ語の研究で修士号を得た。
◆ゴードン・クロウハースト G4ZPY Gordon Montague Crowhurst 住所: 41 Mill Dam Lane Burscough Ormskirk Lancashire L40 7TG 電話: 01704-894299 ゴードン(G4ZPY)は2004年7月現在で73歳の英国人男性。イギリス・ランカシャー州の電鍵メーカー「G4ZPYパドルキー・インターナショナル社」(G4ZPY Paddle Keys International)を経営している電鍵デザイナーである。
受注に応じて縦振れ電鍵とパドルの両方を製造しているが、タイタニック号を連想させるようなストレートキーが印象的である。
ゴードンが設計した電鍵の数々
ゴードンが設計した“ベイビー”キー
◆ジェス・ブンネル Jesse Bunnell / J.H Bunnell / J.H. Bunnell & Company 米国ブンネル社の創業者 会社の電話: (631) 360-1967 ファックス: (631) 361-2173 19世紀の米国の著名な電鍵メーカー「ブンネル社」を創業したアメリカ人。創業年は、はっきりしないが、1870年ごろだという。ジェス・ブンネルは南北戦争(1861-1865)の間、エイブラハム・リンカーン大統領(1809-1865)に仕えて電信技士として活躍した人物である。ブンネル社は高品質な電信装置のメーカーとして世界に名を馳せたが、その後、MNJインダストリアル社に吸収された。 20世紀になってブンネル社の百年祭で復刻されたミニアチュア電鍵とサウンダーが「J.H.ブンネル社」(J.H. Bunnell & Company)に展示されている。
■ジェリー・ピッテンガー K8RA Jerry L. Pittenger 住所: 6930 Cook Road Powell, Oh. 43065 USA ジェリーは輸送業界のリサーチ企業で働くシステムエンジニアだが、同時にiambicパドル製造メーカーの「RAマニュファクチュアリングライン社」(RA Manufacturing line)のオーナーであり電鍵デザイナーでもある。
ジェリーは米国オハイオ州ハートランドで生まれ育ち、11歳だった1960年に最初のK8UNGというコールサインを取得した。その後、DX交信に熱中して海外の珍局を追う生活を続けながら自分の作業場で半導体を使った受信機やQRP送信機やリニアアンプを製作してきた。
K8RA Model P-1(木製の基台)
K8RA Model P-2(黄銅製の基台)
K8RA Model P-3(同・4個のメモリーキーヤー制御ボタン付き)
■ウイリアム・ニエ W7DZ William M. Nye ワシントン州ベルビュー 1912年に米国ノースダコタ州で生まれ、1924年にワシントン州シアトル地区に引っ越した。このころ12歳にしてアマチュア無線の資格とW7DZのコールサインを取得した。 成年してからは事務機器メーカーのオーナーにまで上り詰めたが、1971年に会社を売却して経営から退いた。 退職後のビジネスとして趣味のアマチュア無線を活かすこととし、電鍵の製造を目指す。退職の翌年の1972年、シアトル郊外のベルビューで電鍵メーカー「ウイリアム・ニエ社」(William M. Nye Company、通称Nye社)を設立した。 Nye社は創業間もない1972年秋、EFジョンソン社(E.F. Johnson Company)から「SPEED-X」の商標を買収することに成功した。また電鍵を製造するための精密工作機械なども導入した。当時、息子のビル・ニエ・ジュニア(WB7TNN)は、父親がバグキーなどを製造できる工作機械を購入したことを知らなかったと伝えられている。 73歳になったウイリアムは1986年にNye社から退き、代わってビル・ニエ・ジュニアと、その妻のサリー・ニエが、パートの電鍵組立工員とエレクトロニック技術者を雇って経営を続けた。その後のビル・ニエ・ジュニアは、自ら工作機械を空気圧や油圧で駆動させる方式に改良するなどの努力を払い、小さな部品を自分で製造するということもやり遂げた。
Nye Speed-X 31x
■ジョン・ジャコスキー
オートロニック・キー
このオートロニックをデザインしたのがJJJことジョン・ジャコスキー(W6QJR)と、その息子のジョン・ジャコスキー・ジュニア(K6ONJ)であった。父親のジョンは鉄道会社の通信士をしていて、戦前は二文字コールを持つアマチュア無線家でもあった。
■ロバート・ケント Robert A. Kent R. A. KENT ENGINEERS イギリスの電鍵メーカーの創業者 会社の住所: 243 CARR LANE, TARLETON PRESTON, LANCS. PR4 6BY ENGLAND 会社の電話: (44) (0) 1772-814998 会社のファックス: (44) (0) 1772-815437 ストレートキーで有名な英国の老舗、ケント社の創業者。1965年にケント・エンジニアリング社(R A Kent Engineering)を設立。最初はイギリス中西部のサウスポートに会社があったが、新しい工場などの社屋を建築するため、1982年に北西部のプレストンに移転した。 プレストンに新社屋を構えると同時にストレートキーの市場投入を開始し、今日のケント社のイメージを築いた。 ロバート・ケントは1988年に経営から退き、現在は息子のロバート・ケント(Robert S. Kent)がオーナーになってファミリービジネスを続けている。 ケント社のホームページにはモールス通信の歴史を語る上で極めて重要な電鍵が展示されている。たとえば、モールス符号を考案したサミュエル・モールスが、1844年5月24日にアメリカ東海岸のワシントンDCとボルチモアの間でおこなった通信実験の際に用いた縦振れ電鍵をここで見ることができる。この電鍵でモールスが最初に打鍵した電文は「What hath God wrought」(神の御業により創造し給うたもの)であった。この電鍵は、モールスの助手のアルフレッド・ベイルが考案して制作した。 「ケント・モールスキー展示館」
■シュア・モールスタステン社 SCHURR MORSETASTEN 名祖、ゲルハルト・シュア(Gerhard Schurr)によるドイツの人気ブランド。彼のモットーは「前進するのを怠ったとき、すぐにあなたは後退し始めるだろう」である。
Gerhard Schurr © SCHURR MORSETASTEN
SCHURR社はオリジナルの手作り電鍵で世界中にファンが多いドイツのメーカー。正式名称のモールスタステンとは「モールス信号を打鍵する」という意味の造語である。
■ベガリ社 Begali 販売担当のピエロさんのメールアドレス: pibegali@tin.it イタリアの電鍵メーカー。正式名は「Officina Meccanica Pietro Begali」。 1960年に創業した当時は編み物機械メーカーだったが、その後、アマチュア無線への興味から電鍵の製作も始めた。創業者のPietro Begaliの父親は第一次世界大戦後に機関銃の開発者だった人。マグネットの反発力を利用したパドル「Begali Signature Edition」(定価は330ユーロ)に人気がある。 「電鍵・パドルのカタログページ」
■ベンチャー社 Bencher, Inc. 住所: 241 Depot Street Antioch, IL 60002 USA 電話: 847-838-3195 ファックス: 847-838-3479 三脚などの写真用品と、アマチュア無線用品の電鍵やローパスフィルタを製造しているアメリカのメーカー。デュアルレバーのパドル(BYシリーズ)が人気商品だが、縦振れ電鍵(STシリーズ)も生産している。米国イリノイ州に本社がある。 「ベンチャーのカタログページ」
■ロバート・ハモンド KI7VY Robert Hammond Paddlette Co. パドレット社 会社のメールアドレス: bham379627@aol.com 会社の住所: P.O.Box 6036 Edmonds, WA 98026 USA 1936年からアマチュア無線をやっていたOM。米国ワシントン州エドモンドに本社がある電鍵メーカー「パドレット社」の創業者。 「パドレット社のカタログページ」 いろいろなミニアチュア電鍵(小型パドル)が展示されている。iambic方式のパドルもある。飾りのコレクションだけでなく、モービル運用やQRP運用にも向いている。
Model PK-2
■高塚 高逸氏 Koich Takatsuka HI-MOUND electro Co. ハイモンド・エレクトロ社の創業者 会社の住所: 〒437-1622 静岡県御前崎市白羽3651 会社の電話: 0548-63-3154 会社のファックス: 0548-63-6455 1911年、静岡県御前崎市に生まれる。1928年、静岡県水産試験場漁業無線局の助手に。1931年に無線通信従事者第1級を取得。1932年、戦艦「山城」の無線通信機艤装員となるが、航海することなく山城の改装に従事した。以来、1937年まで日本帝国海軍に所属して無線装置や電離層の研究に従事した。この間、昭和天皇の研究資料採集船「葉山丸」と葉山御用邸との無線電話器の設置に従事したこともあった。 1937年12月、26歳にして海軍技術研究所を依願退職し、翌年、静岡県清水港で(株)静清電波工務所を設立して船舶無線機の製造などを始めた。 1940年、召集されて横須賀海兵団に入団、1945年に終戦となるまでの間、ラバウルなどに上陸して無線機器の整備に従事した。この間、玉砕のための小型無線機を製作したこともあった。 終戦後はマサマサ島に収容され、半年弱で日本へ帰国。再び無線機器のビジネスに戻った。 1953年8月、東京都世田谷区で電通精機(株)を設立、電鍵を本格的に製造し始める。これが後のハイモンドにつながった。 1968年5月、(有)ハイモンド・エレクトロ社を設立、モールス通信用の電鍵の製造を開始し、プロとアマチュアに向けて多くの電鍵を世に送り出した。ハイモンドとは高塚氏の名に由来している。「高」はhigh(高い)、「塚」はmound(土手や堤や古墳)、というわけである。 2003年2月、サイレントキーとなる。享年92歳。
60歳当時の故・高塚高逸。そして製品のひとつのModel PK-2
■氏家 俊彦氏 JA7GHD Toshihiko Ujiie 宮城県仙台市/宮城県黒川郡富谷町 1945年、福島県に生まれる。 1968年にJA7GHDを開局して各種モードで運用したが、CWには特に魅力を感じた。キーは国内外の色々なキーを使ってきたが、そのどれもが操作時の音が大きかったり、接触不良があったりして、特に車での運用では満足出来るキーが無かったという。 関連業界の技術者でもあったため電鍵設計を志して非接触型キーの研究を重ね、接触不良が無くて音も静かな光センサー式の電鍵を開発して実用新案を取得。仙台市でGHDキー社を設立し、自らバグキーやパドルを設計・製造している。 その後も+ドライバーでWレバーにもSレバーにもなる「WSシリーズ」を開発、世界唯一と目されるフルオートマチック・バグキーなどを世に送り出した。 また縦振れキーやバグキーのモールス符号も記録と再生が出来るメモリー・キーヤー(手送り送信の全記録再生が可能)も開発した。 プロの世界からは消えつつあるCWだが、アマチュア無線ではCWが益々発展する事を祈っている電鍵デザイナーの一人。
■スティーブ・ヌーキウィッツ N2DAN Steve S. Nurkiewicz Port Charlotte,Florida マーキュリー・パドル(The Mercury Paddle)を設計したフロリダ州ポートシャルロッテのアメリカ人男性。 彼の作品の第一の特徴は、約1.8kgの重さの丸い基台(三重のクローム張りが施された黄銅)と、超硬質のデュアルレバーにより、安定した打鍵ができるところにある。 第二の特徴は、接点に白金属元素のロジウム張りが施された銀を用いている。 第三の特徴は、超精密なボールベアリングに加え、永久磁石用合金のアルニコ(成分は鉄。アルミニウム・ニッケル・コバルト・銅など)を用いて打鍵の反発力を得ていることである。 設計者のスティーブはCWの名手であり、自分で使うためにパドルを自作した。その後、1997年5月に70歳で亡くなるまでにマーキュリー・パドルを約300個しか作らなかった。数が少ない上に手放すオーナーが皆無に近いので、シリアル番号が300番未満のオリジナルを入手するのは困難だが、これを使っているCW'erは「これ以上のパドルは見たことがない」と賞賛している。 その後、米国ベンチャー社がマーキュリー・パドルの権利を買い取り、現在は495ドルで販売している。
■ビル・ブラウン
ビルが設計したBTL iambicパドル(1964年製)
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