世界の電鍵デザイナーたち 



■ジョセフ・ヒルズ
W8FYO
Joseph A. Hills / Joe Hills
米国アリゾナ州フェニックス
 1962年に揺り軸と針状の接点を組み合わせたパドルを初めてデザインしたことで知られる米国オハイオ州デイトンの電鍵デザイナー。ジョセフが発明したこの種の電鍵はFYO型と呼ばれ、ベンチャー(Bencher)社やMFJ社などの製品に採用されて一世を風靡した。現在もベンチャーのBY-1/2/3やMFJ社などの製品に採用されている。
 ジョセフは1978年12月1日、米国アリゾナ州フェニックスで他界した。享年72歳。

FYO型パドルのひとつ

このベンチャーBY-1もFYO型パドルの一種



◆ホレイス・マーチン
Horace G. Martin
 1903年にバイブロプレックスのバグキーをデザインしたことで知られるアメリカ人。電信技士にして発明家。バグキーもエレクトロニック・キーヤーも無かった当時、長点と短点の数だけ腕を動かして送信しなければならなかったが、半自動のバグキーの誕生で短点を自動的に連続して打鍵できるようになったのはマーチンの偉大な功績である。マーチンの名が冠せられた初期のバグキーは1,000ドルから数千ドルで売買されている。
 マーチンの伝説的な言葉に「電鍵は小さくてシンプルでなくてはならず、かつ自動システムかそれに近いメカニズムを備えなければならない」というものがある。
故人をしのぶ(by telegraph-history.org and AWA)

設計者の名を冠したマーチン・フラッシュ



■ミッチ・ミッチェル
W4OA[その前はWA4OSR]
Mitch Mitchell / S. Felton Mitchell
The Vibroplex Co., Inc.
住所: 11 E. Midtown Park, Mobile, AL 36606-4141 USA
電話: 251-478-8873
ファックス: 251-476-0465
 バグキーの元祖メーカーで知られているアメリカの電鍵メーカー「バイブロプレックス」の現在のオーナー。愛称はミッチ、またはミッチ・ミッチェル。本名はフェルトン・ミッチェル(S. Felton Mitchell)。

 バイブロプレックス社は1890年の創業で、電鍵メーカーでは最も古い企業のひとつである。当初は米国ニューヨーク州マンハッタンのブロードウェイ通りに会社があったが、1978年に事業家のピーター・ガルソウ(Peter Garsoe)が、当時の経営者のビニー・ヒフ(Vinnie La Hiff)からバイブロプレックスを買収したのに伴い、同じ東海岸の港町メイン州ポートランドへ移転した。
 その後、ミッチェルが買収してアラバマ州モービル市に移転させ、現在に至る。ミッチがバイブロプレックス社の新しい経営者になって初めて世に出した新製品は1996年発表の「スクエアレーサー」である。
 バイブロプレックスは、半自動の横振れ電鍵のほか、最近では「The Iambic Deluxe」や「Code Warrior Jr.」といったパドルも製造している。同社の製品には虫(バグ)の赤いトレードマークが付いているためバグキーと呼ばれることになった。
「バイブロプレックスのカタログページ」


◆テッド・マッケロイ
Theodore R. McElroy / Ted McElroy / Mac
 1904年9月生まれのアメリカ人。バイブロプレックスを設計したホレイス・マーチンと並ぶバグキーのデザイナーとして有名である。マッケロイ電鍵コレクターを自称するトム・フレンチによると、マッケロイは親から付けられたセオドアという名前を嫌い、テッドやマックという名を好んで用いたといい、自分の電鍵が「マックキー」(Mac-Key)という愛称で呼ばれるのを喜んだ。
 マッケロイは14歳のとき、ウエスタンユニオン社の電報配達の仕事を始め、わずか1年にして通信士の職を得た。そして21歳までにモールス符号の聴き取りコンテストを総なめにして幾つもの記録を樹立した。また1939年には前人未踏の75.2WPMの最高記録を樹立した(トム・フレンチの調査によると実際には72.2WPMだったという)。
 マッケロイが電鍵の製作を開始したのは1934年の後半からだった。1941年までの約7年間で、およそ20通りの半自動バグキーと数通りのハンドキーを設計、製造した。第二次世界大戦の勃発でモールス電鍵の需要は爆発的に増え、米国マサチューセッツ州リトルトンのマッケロイの会社「マッケロイ・マニュファクチュアリング」は数百万ドルの売上高を記録した。
 しかし大戦が終わると軍需注文が一気に減り、1955年、マッケロイは、ついに自分の会社を売却し、間もなくエレクトロニクス関連の会社で仕事を見つけた。その後、地方政治に関心を持って活動したが、1963年11月に没した。彼は、売却後の自分の会社が移転したマサチューセッツ州ボストンの墓地に眠る。
 マッケロイが設計した黒と白のチリメン模様の大理石調の塗装が施されているバグキーは現在もコレクターたちの間で人気がある。またハンドキーも盛んに設計し、クロームベースの縦振れ電鍵なども製造した。
 テッド・マッケロイはモールス通信の達人だったため、彼が作る電鍵は低速でも高速でも打ちやすいとしてプロの通信士たちに広く愛された。戦後にアマチュア無線が普及したころには製造を停止したことが惜しまれている。

マッケロイ社の銘板

©Tom French

マッケロイ社のバグキーの一つ

©Tom French



◆ジョージ・フェルプス
George May Phelps
 19世紀の電鍵デザイナー。電鍵コレクターたちの間では、ホレイス・マーチンらと並び、最も有名な電鍵デザイナーの一人である。
 ジョージは1820年に米国ニューヨーク州トロイで生まれ、少年時代に叔父のジョナス・フェルプスが経営する同じ街の製図器械製作所で機械工として奉公して腕を磨く。1840年代のジョージは、モールス教授がアメリカ東海岸のワシントンDCとボルチモアの間で通信実験をおこなうのを興味深く見守り、次第に競争が激化していく電鍵製造業界で電鍵デザイナーとしての名声を築いていった。ジョージはクラシックなキャメルバック電鍵を好んで設計し、製作し、19世紀の通信士たちに愛用された。
 フェルプスは生地のトロイにあるオークウッド墓地で永遠の眠りに就いた。
故人をしのぶ。


© John Casale

 ジョージ・フェルプス作のキャメルバック電鍵(Phelps Camelback)がここに公開されている。19世紀の作品である。



◆アントン・コバル
M0EDX
Anton Koval
住所: 9 Gretton Road, Erdington, Birmingham B23 5EG, United Kingdom

 アントンは1975年に東欧ウクライナ共和国で生まれた。13歳になった1988年にUT7CTのコールサインを取得した。ウクライナは1991年に独立するまでの間ソビエト連邦の共和国だったので、軍隊に入るなどの事情から、モールス符号を知らないと「おしゃべりなだけの人」(チャターボックス)として軽蔑される雰囲気があり、またモールス通信ができないと上級のアマチュア無線家になれなかった。そこでアントンはモールス符号を習得し、その後は地元のモールス・コンテストで何回か優勝するまでに腕を上げた。そして文科系の大学に入り、英語とドイツ語の研究で修士号を得た。
 UT7CTのコールサインを取得して以来、彼はCWとSSBを欠かさず楽しんできた。
 1996年、ウクライナの母校の学生としては初めてイギリスへ渡ることになった。英国アマチュア無線連盟(RSGB)からの招待がきっかけだった。招いたのは、当時、英国アマチュア無線連盟評議員会の理事だったポール・エサリー(GW3KFE)であった。GW3KFEは当時、アントンの母親と結婚したばかりだったのだ。渡英の年、ウクライナの地元では初めて外国製のトランシーバを手に入れた。それは日本製のTS-520SE(トリオ)だった。
 大学を卒業し、TS-520SEが手に入ったアントンは、ホームページを制作するウエッブデザイナーをしたり、通訳の仕事をしたりしたが、最も楽しかったのは電鍵を自分でデザインして製作することだったという。当時はまだウクライナとイギリスを往復しているだけだったが、ウクライナは電鍵ビジネスをする場所としてはふさわしくないと判断し、ついにイギリス移住を覚悟した。
 いまはCTシリーズ(ウクライナで取得したコールサインから命名)の電鍵を中心に販売している会社アントニー・ウェルシュ社(Anthony Welsh)のオーナーであり電鍵デザイナーであり電鍵コレクターでもある。
 イギリスのバーミンガム(ロンドンに次ぐ大都会)とウクライナの2ヵ所に社屋がある。
 現在のコールサインはM0EDXである。イギリス移住後の2001年に取得した。
「アントニー・ウェルシュの電鍵展示館」
 電鍵のアームがラクダの背中のような形をしたキャメルバックキー(CTCBX)やiambicパドルに人気がある。キャメルバックキーは2004年春にデンマークの映画スタジオが撮影の小道具に用いたという。
アントン・コバルの自己紹介

オーソドックスなモールス電鍵



◆ゴードン・クロウハースト
G4ZPY
Gordon Montague Crowhurst
住所: 41 Mill Dam Lane Burscough Ormskirk Lancashire L40 7TG
電話: 01704-894299
 ゴードン(G4ZPY)は2004年7月現在で73歳の英国人男性。イギリス・ランカシャー州の電鍵メーカー「G4ZPYパドルキー・インターナショナル社」(G4ZPY Paddle Keys International)を経営している電鍵デザイナーである。

 受注に応じて縦振れ電鍵とパドルの両方を製造しているが、タイタニック号を連想させるようなストレートキーが印象的である。
 ゴードンは著名な電鍵デザイナーであり、電鍵研究家のデイブ・イングラム(K4TWJ)が書いた3冊の著書に全て紹介されているし、ドイツ・フランクフルトのニルス・シフハウエル(DK8OK、Nils Schiffhauer )が書いた著書や、イギリスで出版された電鍵研究書籍の中でも、繰り返し紹介されている。  また、デンマークの歌手が「またモールスでQSOできたらいいね」(It's great to QSO in morse again)というカントリーウエスタン調の歌を唄っているが、その中にゴードンのコールサインのG4ZPYが登場する。
 なお、クロウハーストという姓は、先祖代々からサセックス州(イングランド南東部の旧州)に伝わる名前であるという。
「G4ZPYのホームページ」

ゴードンが設計した電鍵の数々

ゴードンが設計した“ベイビー”キー



◆ジェス・ブンネル
Jesse Bunnell / J.H Bunnell / J.H. Bunnell & Company
米国ブンネル社の創業者
会社の電話: (631) 360-1967
ファックス: (631) 361-2173
 19世紀の米国の著名な電鍵メーカー「ブンネル社」を創業したアメリカ人。創業年は、はっきりしないが、1870年ごろだという。ジェス・ブンネルは南北戦争(1861-1865)の間、エイブラハム・リンカーン大統領(1809-1865)に仕えて電信技士として活躍した人物である。ブンネル社は高品質な電信装置のメーカーとして世界に名を馳せたが、その後、MNJインダストリアル社に吸収された。
 20世紀になってブンネル社の百年祭で復刻されたミニアチュア電鍵とサウンダーが「J.H.ブンネル社」(J.H. Bunnell & Company)に展示されている。



■ジェリー・ピッテンガー
K8RA
Jerry L. Pittenger
住所: 6930 Cook Road Powell, Oh. 43065 USA
 ジェリーは輸送業界のリサーチ企業で働くシステムエンジニアだが、同時にiambicパドル製造メーカーの「RAマニュファクチュアリングライン社」(RA Manufacturing line)のオーナーであり電鍵デザイナーでもある。

 ジェリーは米国オハイオ州ハートランドで生まれ育ち、11歳だった1960年に最初のK8UNGというコールサインを取得した。その後、DX交信に熱中して海外の珍局を追う生活を続けながら自分の作業場で半導体を使った受信機やQRP送信機やリニアアンプを製作してきた。
 現コールサインのK8RAを取得したのは1975年である。現在までに355カントリーを獲得した結果、ARRL DXCCの上位に位置している。
 これまでに多くのハム雑誌にリニアアンプなどに関する原稿を寄稿したが、その一つに「ハムジャーナル」(CQ出版社)があり、また根日屋英之(JE1BQE)ら日本人とも親交がある。
 2001年から電鍵の製作を開始したが、最初は自分がCW交信に使うためだった。しかし友人たちが彼のパドルを欲しいとせがんだため、ついに商品とし、アメリカ国内だけでなく、世界中の国々のアマチュア無線家や電鍵コレクターたちに販売した。
 ジェリーが製作する電鍵は専用の工作機械による大量生産ではなく、いずれも手作業用の工具を用いた手工芸品である。電鍵を製作していると心が安らぎ、システムエンジニアの仕事から来るストレスを忘れるという。
「パドルの写真館」

K8RA Model P-1(木製の基台)

K8RA Model P-2(黄銅製の基台)

K8RA Model P-3(同・4個のメモリーキーヤー制御ボタン付き)



■ウイリアム・ニエ
W7DZ
William M. Nye
ワシントン州ベルビュー
 1912年に米国ノースダコタ州で生まれ、1924年にワシントン州シアトル地区に引っ越した。このころ12歳にしてアマチュア無線の資格とW7DZのコールサインを取得した。
 成年してからは事務機器メーカーのオーナーにまで上り詰めたが、1971年に会社を売却して経営から退いた。
 退職後のビジネスとして趣味のアマチュア無線を活かすこととし、電鍵の製造を目指す。退職の翌年の1972年、シアトル郊外のベルビューで電鍵メーカー「ウイリアム・ニエ社」(William M. Nye Company、通称Nye社)を設立した。
 Nye社は創業間もない1972年秋、EFジョンソン社(E.F. Johnson Company)から「SPEED-X」の商標を買収することに成功した。また電鍵を製造するための精密工作機械なども導入した。当時、息子のビル・ニエ・ジュニア(WB7TNN)は、父親がバグキーなどを製造できる工作機械を購入したことを知らなかったと伝えられている。
 73歳になったウイリアムは1986年にNye社から退き、代わってビル・ニエ・ジュニアと、その妻のサリー・ニエが、パートの電鍵組立工員とエレクトロニック技術者を雇って経営を続けた。その後のビル・ニエ・ジュニアは、自ら工作機械を空気圧や油圧で駆動させる方式に改良するなどの努力を払い、小さな部品を自分で製造するということもやり遂げた。

Nye Speed-X 31x


■ジョン・ジャコスキー
W6QJR
John Jay Jakosky
米国カリフォルニア州
 1960年、米国カリフォルニア州ニューポートビーチのエレクトロ・フィジックス社(Electrophysics Corporation)が「オートロニック・キー」(Autronic Key)という名のシングルレバー・パドルを世に出して注目された。価格は16.95ドルだった。

オートロニック・キー

 © N6TT

 このオートロニックをデザインしたのがJJJことジョン・ジャコスキー(W6QJR)と、その息子のジョン・ジャコスキー・ジュニア(K6ONJ)であった。父親のジョンは鉄道会社の通信士をしていて、戦前は二文字コールを持つアマチュア無線家でもあった。
 オートロニックに先だって存在したパドルは、商品化されたものであれアマチュアの自作電鍵であれ、いずれもシンプルなシングルレバーのタイプばかりで、19世紀にブンネルが開発したサイド・スワイパーと同様、アームが単純に左右の接点に触れてモールス符号を出すタイプのものがほとんどだった。またアマチュアの自作電鍵の多くは細い弓ノコギリの刃を用いたり、バグキーをシンプルにしたデザインだった。
 ところがオートロニックは鋳型の基台を採用し、また一対のアームと旋回軸の組み合わせでメインレバーとは独立して左右に動いた(このパドル技術の特許は1963年7月に認可された)。
 孫のジョン3世は当時、まだ高校生だったが、夏休みの間、オートロニックの組み立てに精を出したという。
 エレクトロ・フィジックス社は、パドルのオートロニックの他に、トランジスタを用いたエレクトロニック・キーヤー「オートロニック・キーヤー」(Autronic Keyer)も開発して発売した。オートロニック・キーヤーは現在のエレクトロニック・キーヤーの原型となった。すなわち、打鍵スピードやウエイトの調整機能、全自動(フルオート)と半自動(セミオート)の切り替え、モニター音のための低周波発信器とスピーカーを備えていたのである。
 オートロニックのパドルとエレクトロニック・キーヤーは、主に船舶無線の用途に用いられた。アマチュア無線家たちにも使ってもらおうと、QST誌などの専門誌に広告も掲載したが、当時はまだ多くのアマチュア無線家たちにとって高嶺の花であった。
 1965年、エレクトロ・フィジックス社はコスタ・メサ(Costa Mesa)に移転した。最後にオートロニックの広告を出したのは1968年だった。この年、エレクトロ・フィジックス社は売却され、オートロニック・キーとオートロニック・キーヤーの製造は停止された。
(N6TT、N7CFO、W1IMQの各OMから資料をいただきました)



■ロバート・ケント
Robert A. Kent
R. A. KENT ENGINEERS
イギリスの電鍵メーカーの創業者
会社の住所: 243 CARR LANE, TARLETON PRESTON, LANCS. PR4 6BY ENGLAND
会社の電話: (44) (0) 1772-814998
会社のファックス: (44) (0) 1772-815437
 ストレートキーで有名な英国の老舗、ケント社の創業者。1965年にケント・エンジニアリング社(R A Kent Engineering)を設立。最初はイギリス中西部のサウスポートに会社があったが、新しい工場などの社屋を建築するため、1982年に北西部のプレストンに移転した。
 プレストンに新社屋を構えると同時にストレートキーの市場投入を開始し、今日のケント社のイメージを築いた。
 ロバート・ケントは1988年に経営から退き、現在は息子のロバート・ケント(Robert S. Kent)がオーナーになってファミリービジネスを続けている。
 ケント社のホームページにはモールス通信の歴史を語る上で極めて重要な電鍵が展示されている。たとえば、モールス符号を考案したサミュエル・モールスが、1844年5月24日にアメリカ東海岸のワシントンDCとボルチモアの間でおこなった通信実験の際に用いた縦振れ電鍵をここで見ることができる。この電鍵でモールスが最初に打鍵した電文は「What hath God wrought」(神の御業により創造し給うたもの)であった。この電鍵は、モールスの助手のアルフレッド・ベイルが考案して制作した。
「ケント・モールスキー展示館」



■シュア・モールスタステン社
SCHURR MORSETASTEN
名祖、ゲルハルト・シュア(Gerhard Schurr)によるドイツの人気ブランド。彼のモットーは「前進するのを怠ったとき、すぐにあなたは後退し始めるだろう」である。

Gerhard Schurr © SCHURR MORSETASTEN

 SCHURR社はオリジナルの手作り電鍵で世界中にファンが多いドイツのメーカー。正式名称のモールスタステンとは「モールス信号を打鍵する」という意味の造語である。
 クラウス・グラモウスキ(Klaus Gramowski、DL7NS)が同社を経営している。
メールアドレス: info@schurr-key.de
住所: Kaiserin - Augusta - Allee 91, D - 10589 Berlin Germany
電話: 07151 96 17 09
ファックス: 07151 90 60 45
「シュアのモールスキー展示館」(SCHURR - MORSETASTEN)
可愛いマスコットみたいな電鍵、それに奇抜なデザインのパドルが展示されている。



■ベガリ社
Begali
販売担当のピエロさんのメールアドレス: pibegali@tin.it
 イタリアの電鍵メーカー。正式名は「Officina Meccanica Pietro Begali」。
 1960年に創業した当時は編み物機械メーカーだったが、その後、アマチュア無線への興味から電鍵の製作も始めた。創業者のPietro Begaliの父親は第一次世界大戦後に機関銃の開発者だった人。マグネットの反発力を利用したパドル「Begali Signature Edition」(定価は330ユーロ)に人気がある。
「電鍵・パドルのカタログページ」



■ベンチャー社
Bencher, Inc.
住所: 241 Depot Street Antioch, IL 60002 USA
電話: 847-838-3195
ファックス: 847-838-3479
 三脚などの写真用品と、アマチュア無線用品の電鍵やローパスフィルタを製造しているアメリカのメーカー。デュアルレバーのパドル(BYシリーズ)が人気商品だが、縦振れ電鍵(STシリーズ)も生産している。米国イリノイ州に本社がある。
「ベンチャーのカタログページ」



■ロバート・ハモンド
KI7VY
Robert Hammond
Paddlette Co.
パドレット社
会社のメールアドレス: bham379627@aol.com
会社の住所: P.O.Box 6036 Edmonds, WA 98026 USA
 1936年からアマチュア無線をやっていたOM。米国ワシントン州エドモンドに本社がある電鍵メーカー「パドレット社」の創業者。
「パドレット社のカタログページ」
 いろいろなミニアチュア電鍵(小型パドル)が展示されている。iambic方式のパドルもある。飾りのコレクションだけでなく、モービル運用やQRP運用にも向いている。

Model PK-2



■高塚 高逸氏
Koich Takatsuka
HI-MOUND electro Co.
ハイモンド・エレクトロ社の創業者
会社の住所: 〒437-1622 静岡県御前崎市白羽3651
会社の電話: 0548-63-3154
会社のファックス: 0548-63-6455
 1911年、静岡県御前崎市に生まれる。1928年、静岡県水産試験場漁業無線局の助手に。1931年に無線通信従事者第1級を取得。1932年、戦艦「山城」の無線通信機艤装員となるが、航海することなく山城の改装に従事した。以来、1937年まで日本帝国海軍に所属して無線装置や電離層の研究に従事した。この間、昭和天皇の研究資料採集船「葉山丸」と葉山御用邸との無線電話器の設置に従事したこともあった。
 1937年12月、26歳にして海軍技術研究所を依願退職し、翌年、静岡県清水港で(株)静清電波工務所を設立して船舶無線機の製造などを始めた。
 1940年、召集されて横須賀海兵団に入団、1945年に終戦となるまでの間、ラバウルなどに上陸して無線機器の整備に従事した。この間、玉砕のための小型無線機を製作したこともあった。
 終戦後はマサマサ島に収容され、半年弱で日本へ帰国。再び無線機器のビジネスに戻った。
 1953年8月、東京都世田谷区で電通精機(株)を設立、電鍵を本格的に製造し始める。これが後のハイモンドにつながった。
 1968年5月、(有)ハイモンド・エレクトロ社を設立、モールス通信用の電鍵の製造を開始し、プロとアマチュアに向けて多くの電鍵を世に送り出した。ハイモンドとは高塚氏の名に由来している。「高」はhigh(高い)、「塚」はmound(土手や堤や古墳)、というわけである。
 2003年2月、サイレントキーとなる。享年92歳。

60歳当時の故・高塚高逸。そして製品のひとつのModel PK-2



■氏家 俊彦氏
JA7GHD
Toshihiko Ujiie
宮城県仙台市/宮城県黒川郡富谷町
 1945年、福島県に生まれる。
 1968年にJA7GHDを開局して各種モードで運用したが、CWには特に魅力を感じた。キーは国内外の色々なキーを使ってきたが、そのどれもが操作時の音が大きかったり、接触不良があったりして、特に車での運用では満足出来るキーが無かったという。
 関連業界の技術者でもあったため電鍵設計を志して非接触型キーの研究を重ね、接触不良が無くて音も静かな光センサー式の電鍵を開発して実用新案を取得。仙台市でGHDキー社を設立し、自らバグキーやパドルを設計・製造している。
 その後も+ドライバーでWレバーにもSレバーにもなる「WSシリーズ」を開発、世界唯一と目されるフルオートマチック・バグキーなどを世に送り出した。
 また縦振れキーやバグキーのモールス符号も記録と再生が出来るメモリー・キーヤー(手送り送信の全記録再生が可能)も開発した。
 プロの世界からは消えつつあるCWだが、アマチュア無線ではCWが益々発展する事を祈っている電鍵デザイナーの一人。



■スティーブ・ヌーキウィッツ
N2DAN
Steve S. Nurkiewicz
Port Charlotte,Florida
 マーキュリー・パドル(The Mercury Paddle)を設計したフロリダ州ポートシャルロッテのアメリカ人男性。
 彼の作品の第一の特徴は、約1.8kgの重さの丸い基台(三重のクローム張りが施された黄銅)と、超硬質のデュアルレバーにより、安定した打鍵ができるところにある。
 第二の特徴は、接点に白金属元素のロジウム張りが施された銀を用いている。
 第三の特徴は、超精密なボールベアリングに加え、永久磁石用合金のアルニコ(成分は鉄。アルミニウム・ニッケル・コバルト・銅など)を用いて打鍵の反発力を得ていることである。
 設計者のスティーブはCWの名手であり、自分で使うためにパドルを自作した。その後、1997年5月に70歳で亡くなるまでにマーキュリー・パドルを約300個しか作らなかった。数が少ない上に手放すオーナーが皆無に近いので、シリアル番号が300番未満のオリジナルを入手するのは困難だが、これを使っているCW'erは「これ以上のパドルは見たことがない」と賞賛している。
  その後、米国ベンチャー社がマーキュリー・パドルの権利を買い取り、現在は495ドルで販売している。


 © N6TT


■ビル・ブラウン
Bill Brown
 米国ミズーリ州セントルイスのブラウンブラザース・マシン社(BBMC、Brown Brothers Machine CO.)が1960年代にBTLモデルの電鍵でヒットを飛ばしたが、そのデザイナーがビル・ブラウンである。
 ビルは、電鍵の基台や部品を製造するために必要なダイカスト機械(溶かした金属を鋳型に注ぐためのもの)を、自分で作った。ビルが設計する電鍵は、細かい部品に至るまで、全てハンドメイドだった。それだけでなく、塗装やラベルにも目を配った。
 ビルの作業場は地下室だった。電鍵を設計し、部品を組み立てる作業は全て独りでおこなった。彼は本物の職人で、しかも完全主義者だったのだ。
 ブラウンブラザース社は、ビルが作る電鍵シリーズを1964年から1979年まで製造した。この間に販売された電鍵は、BTLやCTL、UTL、ST、CSAなど10種類に上った。TLとはツインレバー、つまりiambic対応パドルであることを示している。またSTはストレートキー、CSAはコンビネーションキー(ストレートキーとバグキー)である。
 カリフォルニア州の電鍵コレクターで電鍵研究家のジム・ジンマーマン(Jim Zimmerman、 KG6VI)が、エド・ブラウン(ブラウンブラザース社の経営者の一人)から聞いたところでは、ビルが作る電鍵を見たとき、クリスマスの装飾品の色彩(赤や白銀色)を連想したという。エド・ブラウンは自分の兄弟が何を作っているのかほとんど知ろうともしない物言わぬ財務面の経営者であり、ビル・ブラウンは心底、職人肌だったのだ。
 なお、ブラウンブラザース社は、バイブロプレックスと異なり製品の電鍵にシリアル番号を刻印しなかった。

ビルが設計したBTL iambicパドル(1964年製)

 © N6TT


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